なぜ、親権者に監護義務違反が認められないのか ?

 いじめ問題に端を発した水戸地裁判決には、第2の疑問が生ずる。
 暴力行為を働き、睾丸の機能不全を引き起こした加害少年の親権者には、監護義務違反がないというのだ。
 
 水戸地裁判決によれば、親権者に監護義務違反が認められるためには、暴行を働いた少年暴行を働いた被告少年が他人の生命身体等に対し危害を加えることがある程度具体的に予見されたにもかかわらず、それを阻止すべき措置を故意・過失によって採らなかった場合に限るというのだ。

 そして、学校の教室内で生じた暴行行為について、親権者が、自分の息子が被害を受けた少年を含む他人に暴行を加えるおそれがあると具体的に予見できる状況にあったと認められないと云うのた。

 水戸地裁のこの判旨には、問題がある。
 民法第714条の監督者責任は、加害者の責任能力が否定される場合に発生する補充責任である。加害少年に責任能力ないことについては、問題がない。
 では、監督義務者が、その義務を怠らなかった場合には、免責されるとの規定(第714条1項但し書き)は、どのように読むべきであろうか。

 実務では、その義務やその違反は、広く解されてきたはずである。
 小学生の喧嘩事故でも、親の責任を認めたのは、東京地裁平成20年2月22日判決(判時2033.34)である。

 当職は、親権者が、監督義務を尽くしたは思わない。
 そして、本件暴力事件が発生する前に、教室で、加害少年と被害少年の喧嘩も発生していたことを鑑みるならば、地裁判決の云う「具体的に予見できる状況にあった」といえると思う。そして、原告側の主張するところによれば、継続的ないじめがあったのだ。
 
 とにかく、法廷で、教室内における喧嘩のことや、いじめや、暴力行為の存在について、一切知らぬ存ぜずと証言すれば、監護義務違反を免れる親が一方にいて、申し訳ないことをしたと陳謝し自戒した親が自白したとして監護責任を問われることになる司法とは、一体何なのだろうか。
 
 しかし、いじめ問題に関する水戸地裁の判決は、さらに本質的な誤りを犯していると思う。