集団妨害訴訟、意見陳述

 集団妨害訴訟の控訴審、最終弁論をした。
 
 森井真氏のそれが、感情の溢れるものであった。
 戦争体験なしには、語れない。
  その体験が再現される危機にある。
 
 〈拍手もあった〉

 しかるに、団長は法律論。 
 矢澤の意見陳述書も、ご覧頂きたい。
 
最終意見書

2013年7月4日 
東京高等裁判所 第8民事部 御中
                            弁護団長 矢澤磤治

1.本件訴訟の意義と目的
 まず、本件訴訟を提起した意義と目的を再確認する事から始めます。
 本件において、控訴人らは、第一に、公安警察官らの「視察」や「盗撮」行為が、本件集会を主催した呼びかけ発起人、呼びかけの主旨に賛同して集会に参加しようとしていた者、ならびに、一般参加者等の憲法で保障された「集会を主催する自由」や「集会に参加する自由」という優越的な地位にある基本的人権を侵害するものであり、憲法21条1項に違反するとし、第二に、警察官等によるビデオカメラを用いて参加者の容貌や姿態を無差別かつ網羅的に盗撮・録画したことは、集会参加者の肖像権、プライバシー権を侵害するものであり、憲法13条に違反するという憲法判断に基づき、控訴人らが被った苦痛に対する損害賠償を請求しました。

2.原判決が最高裁平成4年7月1日大法廷判決を無視したこと
 ところが、原判決は、警察官らの行為により、憲法で保障された「集会を主催する自由」や「集会に参加する自由」が侵害されたといえるのかを先決問題として判断することが必要不可欠であったにもかかわらず、この判断を意図的に回避・懈怠しました。
 最高裁平成4年7月1日大法廷判決が集会の自由に対する侵害の有無について判断する前提として、「憲法21条1項の保障する自由が民主主義社会における基本的人権の一つとして特に尊重しなければならない」と憲法上の位置づけを行うことから論を説き起こしたのとは全く異なり、原判決は、下級審が先例として考慮すべきこの最高裁大法廷判決を無視し、憲法21条について規範的な解釈を懈怠し、集会の自由が制限されうる場合とはどのような場合であるかという憲法判断をせずに、警察法2条1項の解釈適用及び警察官による情報収集活動の適法性を判断したのです。

3.自由心証主義に抵触すること
 次ぎに、本件に対する原判決の事実認定の誤りを指摘することにいたします。原判決は、本件集会の情況について、「参加者の70%以上が革マルの活動家」、「集会の参加者のうち約550名が革マル活動家等の関係者」、「革マル派活動家等とそれにより動員された者」、「実行委員会が「主催者」である」等の事実認定をしました。しかし、これらの事実認定は明らかに誤っております。その原因は、公安二課の西山元課長の証言に依拠したことに因ります。西山の証言や書証は、外形的事実に反し、客観的な裏付けが何らなされていないにもかかわらず、原判決は、この空虚な証言だけを採用したのです。事実認定について裁判官に「自由」を認めるとはいえ、無制限な自由が認められているわけではありません。証拠価値の判定・評価において、経験法則と論理法則に基づく内在的な制約があります。したがって、原判決は、自由心証主義に抵触すると云わざるをえません。西山証言に係る事態を冤罪に喩えて表現するならば、警察が無辜の民を殺人犯であるとでっち上げ、死刑判決と絞首刑送りにするための論理と何ら変わらないのです。
 
4.「視察」の法的根拠とその限界について安直な判断をしていること
 公安警察官らの「視察」や「盗撮」行為が本件集会主催者の「集会を主催する自由」の人権侵害、また、一般参加者等に対する「集会参加の自由」の人権侵害となりうるかという問題点に対する原判決の判断は、違憲・違法であると断ぜざるをえません。
 まず、原判決が、革マル派活動家等であれば、明白かつ現在の危険がなくとも表現の自由を公権力が制限してもよいと正当化したことは、明らかに判例違反です。また、原判決は、公安警察による「視察」の法的根拠とその限界について極めていい加減な判断をしております。すなわち、「視察」の根拠を警察法2条1項、すなわち、警察の職務達成のための必要性に求めているのですが、情報収集活動について、警察法2条2項に定める「日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限の濫用することがあってはならない」との制約があることを全く考慮し検討していないので、違法であるといえます。「視察」というような事実行為についても、その対象者の権利の制約になる場合には、警察法の要件を踏まえて、警察権の行使の限界がどこにあるかの法的判断をなすべきでありますが、それもしておりません。

5.公安警察による一連の行為は、憲法21条1項の「集会の自由」を侵害すること
 原判決は、集会そのもの、また、本件集会を主催した呼びかけ発起人や集会の参加者に、犯罪発生の恐れが皆無であり、また、秩序を乱す恐れ等に繋がるような気配も何ら存在しない情況で、平穏裏に集会に参加しようとしていたこれらの者らに対して、多数の警察官が集会参加者に近接して「視察」することに加えて、単なる写真撮影よりも遥かに権利侵害の程度が強いビデオカメラを用い、しかも、卑劣と評価される隠し撮りと録画行為を、「目視と併せて」とか「目視による視察を補助するための手段にすぎず」と述べて、事実を矮小化しようと目論み、隠し撮り・録画した行為が、控訴人らの集会の自由、集会開催の自由の侵害に当たるか否かという最も肝要な事項を判断するに及び、後ほど言及するプライバシーの侵害とも共通する認識を示します。すなわち、存在するかしないかも判然としない、また、存在していたとしてもそれ自体が「視察」の正当性を肯定する理由にならないはずであるにもかかわらず、「革マル活動家等の活動実態を把握する」必要性を持ち出して、憲法で保障された「集会を主催する自由」や「集会に参加する自由」という基本的人権を違法に侵害したとまではいえないというものです。原判決の論理を比喩すれば、戦争が勃発した最中、非戦闘員である市民の生命や身体がその犠牲となったとしても、国家的利益のために国民が有する生命の権利を侵害したことにならないということであります。原判決は、憲法21条1項を冒涜する判断であると云わざるをえません。
 警察官が、集会参加者の容貌や姿態を、無差別かつ網羅的に隠し撮り・録画することは、公開の平穏な集会において、無防備な一般市民足る集会参加者を実質的には立ち入りと同等の方法で監視下に置き、根こそぎ調査するという情報収集活動を行ったものであり、本件のように、集会が屋内で行われたときといえども、控訴人らの集会の自由を侵害するものと言わなければなりません。

6.「本件集会の参加者を視察することによって革マル派の動向や活動実態を把握するため」と認定したことは、弁論主義に反すること
 原判決がなした「撮影対象者、撮影・録画された映像記録が消去された」、「ビデオ撮影は補助的手段だから」、「情報が消去されたのだから、最低限の制約に止まったから不当ではない」等であるとの事実認定は、明らかに誤りであります。この認定は小田警察官等の全く信用性のない証言に基づくものであり、この者の証言は盗撮の正当化に資する証拠価値を何ら有しないものです。むしろ、逆に、盗撮が違憲・違法・不当な行為であることを自白している証拠であると評価できます。
 また、原判決の認定には、さらなる根本的な誤りを指摘することができます。すなわち、原判決は、視察と同時に行われた盗撮・録画の目的が、「本件集会の参加者を視察することによって革マル派の動向や活動実態を把握するため」であると認定したのです。しかし、被控訴人は、この事項を申し立てておりませんでした。警察官による盗撮と録画の目的は、違憲・違法性を阻却する事由として、被控訴人が積極的に主張・立証すべき主要な事実であります。しかるに、この主要な事実について、被控訴人が何らの主張と立証をしていないにもかかわらず、原判決が「本件集会の参加者を視察することによって革マル派の動向や活動実態を把握するため」と認定したことは、明らかに弁論主義に反すると断ずることができます(民事訴訟法246条)。
 控訴人は、警察官による盗撮と録画の目的が「集会参加者を網羅的に撮影すること」であったと反論しており、本件では明確な争点となっていたはずです。原判決は、当事者の主張により形成された争点外の事実を認定したものであり、争点形成義務ないし釈明義務に反する不意打ちの事実認定であると云わざるをえません。

7.ビデオカメラによる盗撮が憲法13条違反であること
 デモ行進中における個人の容貌等の写真撮影の違法性については、昭和44年12月24日最高裁大法廷判決の定めた要件を検討しなければなりません。本判決は、違法性の要件を警察法2条1項からの直接の権限を導き出すことはせず、同規定が責務を定めたとし、事案については、警察官による個人の容貌の撮影が許されるのは、「現に犯罪が行われもしくは行われたのち間もないと認められる場合であって、しかも、証拠保全の必要性および緊急性がある場合」にのみ、相当な方法なら許されるとしていたはずであります。ところが、原判決では、この最高裁判決の前提条件,基準の認定が全く欠落しており、手段の相当性だけが検討されたに過ぎないのです。
 そして、原判決は、呼びかけ発起人、および、多数の一般参加者をビデオによる盗撮を行うことが、「革マル派活動家等ないしその動員による参加者」を対象とするものだから許されるという論理を採用し、「このような隠し撮りによって、集会参加者の肖像権、プライバシー権がある程度侵害され、またそのことを知った集会参加者が心理的制約を受けるとしても、上記の目的及び態様によってビデオ撮影がされることによる不利益ないし権利侵害は、正当な目的のために必要最低限の範囲で権利の制約を受けたものと評価するのが相当である」と結論したのですが、本末転倒な論理であると考えざるをえません。すなわち、原判決によれば、被控訴人が行う情報収集活動の下で、その活動目的の対象外の一般市民は、その活動により人権を無視されてもそれを甘受すべきであるという発想に基づき判断するものに他ならないからです。国民の不可侵であるべき基本的人権国益よりも劣後し、国民が国家に隷属すべきであるという判断は、憲法13条および97条に反し、その過ちは明白であるといわなければなりません。
 一般市民の自由を制約する「視察」という権力行動は、警察法の法文を無視して許容されるものではありません。本件については、警察法の要件を具備しているかを、先ず判断するべきであります。警察による情報収集活動については明文規定が存在しませんが、それが職務行為であるとしても、強制力を伴うべきではなく、犯罪の予見も皆無の情況下で、原判決は、単なる写真撮影よりも遥かに権利侵害の程度が強いビデオカメラを用い、しかも、卑劣と評価される盗撮と録画行為を、「目視による視察を補助するための手段にすぎず」と述べて、事実を矮小化しようと目論んだものに他ならないのです。公安警察が、「視察」と相まってビデオカメラにより集会参加者の容貌や姿態を、無差別かつ網羅的に隠し撮り・録画する行為は、集会参加者の肖像権、プライバシー権を侵害するものであり、まさしく憲法13条に反すると云わざるをえません。

8.最後に
 巷では、改憲や廃憲の嵐とも表現できる事態が見受けられます。しかし、私は、いま自民党憲法草案から削除された、憲法97条を改めて、読み上げたいと思います。
 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」とあります。我々、控訴人ら及び弁護団は、本件について、裁判所が、憲法第76条に定める、良心にしたがい独立してその職権を行い、憲法と法律にのみ拘束され、国民の付託に応えるよう祈念いたしております。
 以上をもちまして、私の意見といたします。