裁判員制度は、違憲

裁判員制度は。違憲です。

 裁判員制度の施行が間もなくに迫った。
 この制度を巡っては、様々な議論がなされ、
 弁護士会の会長選挙でも、それが争点となっている。

 私は、裁判員制度に反対である。NHKのニュースジャーナルでもお話ししたように慎重派ではなく、反対派である。
 その最大の理由は、この制度が憲法に抵触する幾つかの内容を含んでいるからだ。
 1週間ほど前の朝日新聞をみていたら「組員も選ばれる?」というリードに目がとまった。そこで、なぜこの制度が違憲であるかを箇条書き風にコメントしたい。

 1)裁判員として参加を義務づけられることは、憲法上許されえない。
 憲法が国民に課する義務は、三つ。教育を受けさせる義務(26条)。勤労の義務(27条)、そして、納税の義務である(30条)。
 国政や地方自治体への参政権はあるが、投票を義務づけられることはあり得ない。良心的であれ、意図的であれボイコットすることも権利行使の内容をなす。
 しかし、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」(以下では、「法」という)によれば、裁判員候補者の不出頭は、10万円以下の過料に処せられる(法112条)こととされる。要するに、裁判員制度は、罰則付きで司法への参加の義務づけるという制度なのである。
 2)平等原則への抵触 
 憲法には、いわゆる「法の下における平等」がうたわれており、政治的、経済的又は社会的関係において差別されないと謳う(憲法14条)。ところが、法では、裁判員の欠格事由(14)と就職禁止事由(15)が明記される。
 まず、新聞記事にある「組合員」が問題とされる前に、なぜ義務教育をしない者(それと同等の学識を有しない者)や禁固以上に処せられた者は欠格者に扱われるのであろうか。漢字が読めない大臣もいるわが国で、学識を有しないか、否かの判断はどこでどのような基準でなされるのであろうか。また、過去の禁固刑を科せられたとしても修復的司法の観点からこれらの者を差別的に取り扱うはずはないはずである。
 また、就職禁止事由について、過去に裁判官、検察官ならびに弁護士であった者がなぜ禁止されるのか(法15条4〜6号)。再検討の必要がある。
 3)苦役からの自由(憲法18条)に反すること
 裁判員制度に反対すると否とに関わらず、過料に課するとの脅しの下で、裁判員としてと勤めなければならないことは、苦役からの自由に抵触する。職業や家庭に者づく事情もあるが、最大の苦役は、ある被告人の有罪か無罪か、そして、死刑を含む量刑を決定する評議を拒否できないと言うことに他ならない。
 貴方が、ある刑事被告人の死刑を決めなければならなくなる、ということである。
 4)思想・良心の自由(憲法19)への抵触
 3)に述べたことは、憲法19条違反に通じる。裁判員制度は、この制度に反対であったり、不信を感じていたり、疑問を感じている国民に民主主義の強化を名目に、国民の司法への義務づけ参加を強制しようというのである。このことは、まさしく、思想・良心の自由への侵害の他ならない。
 5)表現の自由憲法21条1項)の侵害
 この裁判員制度では、裁判官を交えて評議がなされることになっており、その内容を裁判員が漏洩することは、6ヶ月以下の懲役などの秘密漏洩罪に問われるとされる(法108)。しかし、これも、大きな憲法違反である。裁判員制度は国民の司法への参加による民主主義の涵養・充実を期するはずのものでなければならない。そのためには、情報の公開を促すオーフス条約や英米における裁判官の少数意見や陪審員からの報告のように、評議の手続きやその内容を公開する必要がある。袴田事件で熊本判事が評議の内容が明らかになったしても、それは当然であると言わなければならない。刑罰をちらつかせて隠し続けて、司法の民主化が実現できるはずがない。「密室法廷」の暗黒時代に立ち戻るだけのことに他ならない。
 したがって、裁判官と裁判員にも、他国でも行われている表現の自由を保障すべきである。

 この他、裁判員制度には、手続、被告人の権利保障などなど多々憲法違反は多々存在する。こうしたことを、法曹や学者がいかようも語ろうともしないことに、わが国の危機的な状況を覚える。