集会妨害国賠訴訟への所信

 10.13集会妨害国賠訴訟に向けての所信

                    おおとり総合法律事務所
                    弁護団長   矢澤磤治

 一言、この訴訟の果たすべき役割についてお話しいたします。私は専修大学の今村法律研究室の室長をいたしております。今村とは今村力三郎であり、今村は、明治から大正デモクラシーに移行する過程で生じた政治的な多くの難事件を取り扱いました。わけても有名なのは、刑法73条違反、大逆罪に関するものであり、時の権力はが明料事件に乗じて、幸徳秋水らの社会主義者無政府主義者を逮捕、そのうち12名を四谷の土壇場で処刑したことはよく知られております。

 こうして、平沼騏一郎大審院次席検事を中心とした検察による「思想裁判」がはじまり、警視庁に、最初の特高警察課が設置されました。後は、平沼の1人舞台。「怖る可き危険思想」を弾圧・絶滅するための検察組織が構築されることになるのです。森戸事件を経て新聞紙や出版に関する法の活用も求められ、ついに、1920年には、平沼が司法大臣の時に、治安維持法が制定されました。こうして、危険思想の摘発や取締を口実に、「人倫破壊」までをも含む、広範な取締機能と厳罰主義が、内務省、司法省に浸透することになったわけです。後は、京都府学連事件、亀戸事件、そして小林多喜二が虐殺される契機となった小樽の3.15事件などなどです。

 この2月20日は小林多喜二の命日です。1933年筑地署で、小林は特高警察により拷問死しました。しかし、この拷問死は、横浜事件でも見てとれるに敗戦に至るまで続きました。

 日本国民は、ようやく、忌まわしい体制の呪縛から逃れたはずでしたが、思想検察や公安警察は、断罪されることなく、マッカーサー指令や日米安保条約の発効により、完全復活して現在に至っているという次第です。

 現在、公安・警備警察が検察とともに、また、軍隊とともにわが国を支配しつつあります。そして、国民が享受すべき基本的人権が蹂躙されています。我々は、この状況を法的に断罪し、平和と反省を希求する国民に、この訴訟の存在、経過と内容を知らし絞め、わが国に蔓延るこうした軍事的=警察的反動に対して対峙して行く必要があると思います。 我々は、この訴訟において、こうした反動に対して確たな楔を打ち込み、基本的人権の擁護と社会正義を確保する確固たるスタンスで望みたいと思います。弁護団の皆様方、そして、支援者の英知を結集して、その裁判を闘って参りたいと思います。