大逆事件と特別高等警察(特高)

 大逆事件に関連して、特別高等警察特高)の歴史を尋ねた。
この警察の忌まわしい思想弾圧の極みである仕組みは、大逆事件を契機に設けられた。大原研の貴重な情報に感謝。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp

特高警察
 特高の歴史は、鮮血にまみれた人権蹂躙の罪悪史であったが、「治安維持」の取締りにあたった特高警察は、いわゆる大逆事件の翌年、1911年に内務省がそれまで高等警察事務の一部であった危険思想取締りのため枢要地にとくに専任警部を配置することを勅令で決定し、大阪府に警察部長直属の高等課別室(翌年特高課に昇格)を、また警視庁の官房内の高等課を分課して社会運動の取締りだけを担当する「特別高等課」を設けたことに始まるものであり、1913年の警視庁官制の改正によって、特別高等警察外事警察労働争議調停の三部門を担当する課として明確な地位を獲得した(武野武治・赤枝清「特別高等警察史」、潮流、1946年4月号)。
 その後、日本共産党創立の翌年、1923年には主要九府県に特高課が創設され、つづいて1928年の三・一五事件のあと、残りの全府県に特高課が設けられ、また主な警察署に特高係が配置され、ここに全国的な特高組織網が確立し、思想警察を全国的に統轄する内務省警保局保安課は拡充強化された。府県の特高課長は警察部長とは別に直接に中央の保安課長と結びつき、府県特高課長の任免だけは内務省の保安課長(保安課長のみは勅任官)の人事に一任され、内務省の機密費も保安課長から直接に特高課長に工作費として送られていた(杉本守義「特高警察の組織と運用」、ジュリスト、19512・7・15および8・1号)。(特高警察系統図)
(引用したのは、法政大学大原研究所 日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動 The Labour Year Book of Japan special ed. 第四編 治安維持法と政治運動 第一章 治維法・特高憲兵による弾圧)

 
 社会運動対象の特別高等警察課が設置されたが、この課は、地方長官や警察部長などを介さずに、内務省警保局保安課の直属であることに注目。
 ちなみに、現行の警備・公安警察は、「国の公安に係る警察運営」等の理由で国家公安委員会の直接の管理下におかれている。つまり、警備・公安担当の警察官は、地方公務員でとして給与は、都道府県から支払われて入るにもかかわらず、その活動費は国から支払われているというシステムになっており、この金については、各地方公安委員会や地方時事体議会さらには県警本部長にすら一切知らされない仕組みになっている。
 要するに、警備・公安警察は、警察庁の直接の指揮下に入り、警察庁の直接の指揮下には入り、警察庁を通じて、地方警察を動かしている(日本弁護士連合会編『検証 日本の警察』(日本評論社、1995年)194頁)。特高公安警察の位置づけが、確認できると思う。
                        Shoji YAZAWA