無実のゴビンダさん

 恐ろしい司法が跋扈している国であるとつくづく思う。
 1審の無罪判決が控訴審で逆転有罪。
 
 
 被疑者に有利な証拠は隠される!
 1997年に遡る。この事件の根本的な問題点は、ゴビンダさんに有利な鈴木廣一作成の鑑定書が検察により隠されていたというのだ。支える会によれば、2011年9月8日に検察が開示した42点の中には、被害者の胸部や口に付着していた唾液からO型反応が出たが、B型反応は出なかったという鑑定書があるという。
 この鑑定書の日付は、1997年4月3日であり、ゴビンダさんが強盗殺人で逮捕される前は、被害者の身体からゴビンダさんとは別人の体液の存在が確認されていたのだ。検察は、この鑑定書を隠していたのだ。

 別の男性のDNA型の検出
 そして、隠されていた証拠のDNA鑑定を検察側が仕方なく申請したが、その結果は、以下のとおりである。
 被害者の右乳房と下腹部の2カ所に付着していたO型の唾液のDNA型が、むろんゴビンダさんではなく、犯人Xと思しき、それと一致することが明らかとなった。
 
 そして、今日の新聞は伝える。被害者の首回り(頚部)から採集された付着物からもゴビンダさんのDNA型は検出されなかったという(朝日新聞、2011.11.22)。

気になる別の男
 では、被害者の女性の体内から採取された体液と、現場に残されている体毛のDNA型が一致した別の男は、どのような存在なのであろうか。現場(渋谷区丸山町16)を尋ねたある人から、幾つかの情報をいただいたことがある。
 「当時から、あのネパール人は冤罪だと思っていた」
 「何とか助けてあげて下さい」
 「沖縄出身の日本人がおかしいと近所では話していた」
 「事件後、すぐに姿を消した」
 「警察は知っている」
 というのだ。

 それでも、無罪証拠が隠蔽され、無罪でも身柄拘束され、受刑者とされ、
 14年の月日が流れている。
 
 根本的に、日本の司法には、根本的な誤りがあるのではないか。
 無辜の民を有罪にするために、司法があるのではない。

 なぜ、全面的な証拠開示ができないのか。