幸徳秋水の死刑廃止論

幸徳秋水死刑廃止論
                    

 当職は、第二東京弁護士会人権擁護委員刑部会に所属している。部会長の小川原優之、田鎖麻衣子弁護士らが精力的に活動されており、その活動の一端は、『死刑100年と裁判員制度』(インパクト出版、2009)に掲載されている。そして、本日の死刑部会でも、日本弁護士連合会の「人権のための行動宣言」(2009年11月)の13でも取り上げられ、さらに、国連死刑廃止条約20周年を迎え、12月13日前後に開催される東アジア死刑廃止大会でも死刑廃止に向けての活動が進められている。
 さて、幸徳秋水は、大逆事件の首謀者として絞首刑に処せられ、40数年の生涯の幕を綴じることになるが、この事件は、政府の陰謀的創作(「冤罪」)であったことが、後に総理大臣となる平沼騏一郎自らにより既に認められているところである。今村力三郎が秋水の私選弁護人を務め、彼の無罪を確信し弁論してきたことは、『芻言』で知りうることである。しかるに、大逆事件の被告人達は、暴力革命や明治天皇の殺害の共同謀議など全くしていないにもかかわらず、世間では「畏るべき事件」として、闇に葬り去られてきたのである。むしろ、私は、幸徳秋水が権力を否定し、戦争に反対することに徹底したヒューマニストであったと確信している。明治35年3月24日付けの「死刑廃止」の社会時評は、まさしくその確信を裏付ける。そして、この時評は、現在でも死刑廃止論の核心を穿つものである。

 死刑廃止論の一部を紹介する。
「西人曰く、人の生命は地球よりも重しと,夫れ世に地球よりも重きの生命を絶たしむるに相當する程の犯罪ある乎、縦令如此きの犯罪ありとするも、誰か能く之を判別することを得る乎、神ならずして誰が能く人の生命を絶つべしと宣告しうるの資格を有する乎。・・・吾人は實に絶対の悪人なる者を想像すること能わず、而して實に之あることを信ずる能わず縦令之有りとするも、而も人は決して之を判別し得可からずして、而して其生命を絶つの権利ある可らざる也、況や其宣告の錯誤に出るを発見するも、一たび刑を行うや遂に回復の途なきや、況や道徳の標準や程度や、常に其の世代に随ってことなるをや、豈其死に當するの永遠に通じて動かす可らざるの犯罪なるものあらんや。而して、死刑は永遠に地球よりも重きの生命を断送する也。」(幸徳秋水『評論と随想』(自由評論社、1949)) 。

 1950年ティモシー・エバァンス事件で、自分の妻と子供を殺したとして死刑を宣告され、そして処刑されたティモシー・エバァンス。実は、目撃証人をした隣の男が真犯人であった。わが国でも、かろうじて死刑台から還った人もいる。免田、財田川、松山、島田事件の元死刑確定囚である。しかし、足利事件と並んで焦眉の的となっている飯塚事件久間三千年さんは、既に処刑されているのである。わが国でも、冤罪で死刑に処せられるというおぞましい国家犯罪が存続し続けているのである。
 秋水が体制から睨まれた原因は、その無政府主義だけにあるのではなく、秋水の戦争反対、死刑廃止というヒューマニズムが時の権力者を逆なでし、「大逆の陰謀」という事実無根の罪に貶められたということであろうか。死刑廃止を論じた秋水は、冤罪の犠牲者となり、絞首刑されたのである。