これでもノーベル平和賞

 1960年1月の日米安保条の改正時に日本への核兵器の貯蔵・配備には事前協議が必要とされたはずだ。その後、佐藤首相の下で非核三原則が堅持されてきたと国民は信じていたに違いない。広島・長崎の戦争体験をよもや首相がということである。
 そして、ノーベル財団もこの人に平和賞を提供した。
 しかし、今回の外交文書により、中国の核実験直後に、日中戦を仮定して、「核の報復」を米に表明したことが公開された。
 社会党は、核非武装を宣言していたはずであるが、わが国の首相と外務省は、米国に追随し国民に虚偽のスタンスをとっていたと言うこと。
 密約で、二枚舌で、国民や核廃絶を無視して、ノーベル賞