憲法21条訴訟(意見陳述)

    意見陳述書

      2009年11月30日

東京地方裁判所民事33部 御中
 
                弁護団長 矢澤磤治


 本件訴訟の意義については、今年の2月23日の期日で意見を申し上げました。今一度申し上げますと、本件訴訟では、司法が日本国憲法の下で基本的人権、とりわけ表現の自由と集会の自由を擁護するために、果たすべき役割と歴史的な責務が問われているということです。
 本日は、第1に、表現の自由、その一形態としての集会の自由がなぜ憲法上最大限に保障されなければならないかについて述べます。具体的には、被告東京都下の公安警察が集会に参加する者を逐次監視する行為、また、本件集会場に続く路上を集会参加者が向かっている過程を撮影することが、いかなる権利を侵害するものであるかについて、憲法学者の所論に基づき一般論を展開したいと思います。第2に、現在までの段階でなされている被告の主張がどのような理由で、失当であるかについて言及します。

第1 表現の自由と集会の自由 
 1 表現の自由に優越的地位が認めれていること
 日本国憲法第21条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定しております。表現の自由は、憲法上人権規定のなかでも優越的地位が認められ、最大限の保障が必要であるとされます。その理由は2つあります。第1の理由です。表現の自由は、民主制社会を基礎づけるものであり、憲法が保障するすべての自由の母体であるからであります。元東大教授、最高裁判所裁判官伊藤正巳は、「ある国が民主制をとっているかどうかを判定する基準は何よりも、権力を握っている者に対して自由に批判を加える権利が国民に保障されているかどうかという点にある」といいました。正鵠を得た言明であると思います。第2の理由は、「自由な思想の交換によって、人が自己の人格形成を押し進めることができるという」ということです。人が自由に表現する欲求を封殺することは、人間の尊厳に対する侵害となるという次第です。
 民主制を謳う多くの国々では、勿論の事ですが、この自由を憲法上保障しております。アメリカ合衆国憲法修正第1条、1789年フランスの「人及び市民の権利宣言」第10条および第11条、ドイツ連邦共和国基本法第5条(表現の自由)、第8条(集会の自由)、第9条(結社の自由)、さらに、大韓民国憲法第21条などなどです。

 2 集会の自由の無条件的保障
 そして、集会の自由は表現の自由の一形態をなすものであり、自己の思想を伝達する手段に乏しい者にとって、集会や集団示威運動という集団による行動は大衆の表現行為として格別の意義を有するものであり、この自由を保障することにより、民主主義社会が構築・維持されうるものであります。憲法学者佐藤幸治は、「日本国憲法による集会の自由は無条件的である」と明記し、わが国における歴史的出来事に対する猛省に基づき配慮された規定であると記しております。
 そして、集会の自由には、「集会の開催、集会への参加、集会における集団の意思形成とその表明、さらにそれの実行行為などを公権力が妨げてはならないという内容が含まれる」ということです。平たくいえば、憲法が集会の自由を保障した趣旨とは、主催者による呼びかけ、呼びかけに応えた参加者が集会に参加する過程、集会の開催直前から解散のすべての場面と過程において、特に公権力によるあらゆる妨害や制限や干渉を排除するということです。そして、集会が屋外でなされる場合と異なり、それが屋内で開催されるときには、そもそも規制が認められる余地は全くあり得ないのです。

 3 集会の自由の侵害となる行為
 では、集会の自由の侵害となる行為は、どのようなものでしょうか。集会の自由に対する「公権力の制限や干渉」とは、公権力を行使する者による有形力を行使した妨害にととまるものでなく、心理的圧迫という妨害行為も含まれるということです。集会の開催や参加を心理的に圧迫し、また、精神的に抑圧して、集会の開催や集会参加者または参加したいと望む者に集会開催や集会参加を躊躇させたり、参加しようとする者に心理的圧迫感や嫌悪感ならびに罪悪感を覚えさせるものも集会の自由の侵害にあたるということです。

第2 被告の主張が失当であること
 1 視察の違憲
 原告らは、被告東京都の警察官らによる本件集会に対する行為、まず、集会に参加しようとする者に対する監視、威示行為は、集会参加者らを威圧し、心理的な圧迫を与え、集会に参加しようとする者に対して参加することを躊躇させるものであり、集会主催者である原告らの集会を開催する自由の侵害であると主張してきました。
 これに対する被告の主張は、警察官らによる本件集会に対する「視察」は、情報収集活動であり、警察法2条1項により適法であるとするものです。しかし、被告は、意図的に、警察法2条2項を無視しております。同法2条2項は、同条1項の解釈・適用にあたり、警察の活動に厳格な制限を課しております。すなわち、「警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであって、その責務の遂行にあたっては、不偏不党かつ公平中立を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用してならない」と文言です。
 これまでなされてきた被告の反論は、警察法2条2項を意図的に欠落させることにより、公安警察組織の行為を正当化するために、根本的には、憲法97条に定める基本的人権の本質を無視し、また、同法99条に定める公務員等の憲法尊重擁護の義務を懈怠することにより、憲法秩序を根本から否定し、原告らの表現の自由と集会の自由をあからさまに侵害したものに他ならならず、適法とされる余地などは全くありません。したがって、被告の主張は明らかに失当であり、理由がないということです。

 2 ビデオ撮影の違法性
 被告警察官による本件集会者のビデオ撮影について、原告は、このようなビデオ撮影が、本件会場に向かう路上を集会参加者が参加しようとする過程を撮影したものであって、犯罪の発生もなく、その具体的恐れもないという状況において行われたものであり、昭和44年12月24日最高裁大法廷判決に照らして違法であると主張してきました。
 これに対する被告の反論は、最高裁判決の本旨を度外視した、独善の主張であるといわざるをえません。この最高裁判決は、「警察官が、正当な理由もないのに、個人の容貌等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し許されない」とし、個人の肖像権を侵害してまで、撮影が許される場合とは、「犯罪が現に行われたもしくは行われたのち間もないと認められた場合」と限定したのでのです。ところが、本件において、被告は、この最高裁判決が情報収集のための写真撮影について判断したものでないとしております。被告の反論は、非論理的に過ぎ、詭弁といわざるをえません。この点に関する、被告の主張も明らかに失当であります。

 本件において、被告は、本件集会が革マル派により開催されかのような虚構を用い、革マル派が代表者の担ぎ出したなどのと全く虚偽の主張を展開してきました。そして、本日指摘したように、被告の反論は、およそ立論の余地がない法律論といわなければなりません。