高橋睦郎「花をひろう」を読む(朝日、2/7)。
 上海に遊学した折りに関心を持った事の一つが「菊」
市街地では、葬式を滅多に見ることができないが、たまたま遭遇。
葬と「菊」の花。
 漢民族では、弔いの時だけになぜ菊を用いるのか。
そうです。菊は、「滅び」の象徴ということでした。
 漢民族でない民族が中原を支配していたときには、
その民族のシンボルは、花であれば、多弁の菊など。
動物であれば、多産を意味する魚や鳥。
 
 しかし、漢民族らは、これらの部族を周辺地域に追いやりました。
チベット、タイ、カンボジア(越)、台湾、そして、日本
追放を余儀なくされ、逃亡してきた民族のシンボル。
その一つが、菊であり、鳥(鳥居)であるとか。

 今回の高橋さんの文を読んで、「巫蠱の獄」や「長屋王」を調べてみました。
長屋王が、謀反の咎で自死に追い込まれる。その罪状の一つが巫蠱(ふこ)の霊草、菊を栽培していたことも含まれていたらしいと記述してあります。
 しかし、巫蠱は、異なる民族を滅ぼすための戦術ではないでしょうか。
 そして、菊は、霊草というよりは、滅びの民族の象徴です。これを飾るなどというのは、この民族にとってまさしくタブー(敵対行為)であったのではありますまいか。
 渡来人系の卑母から生まれた桓武天皇が菊を詩歌の主題としたとありますが、中原から追放された自分の民族の象徴である菊を歌い上げたのだと、私は理解しております。
 
 そのように理解すると、わが国における菊や菊の紋章を抱く家系の位置づけ、意味がよくわかるのではないでしょうか。
 
 『懐風藻』を是非読んでみたいと思います。